耳をうずめて

2014-04-06

放映終了後も犬蛇カワイイ熱が収まらなくて書いたものですがCP要素は驚くほど薄いです。


 浅い眠りから目を覚ました蛇崩乃音は、太陽の光が差し込まない仄暗い天井や、体の周囲に置かれたぬいぐるみの数々に目をやり、自分が今まで本能字学園の生徒会室で仮眠をとっていたことを思い出した。

 一体どれくらい寝ていたのだろう。そう思い、まだ覚醒しきらない頭を持ち上げる。そこで不意に、蛇崩は生徒会室に自分以外の人間がいることに気が付いた。

 蛇崩には心眼通を持つ猿投山渦とは違い、他者の気配を正確に読み取る能力はない。だが幼い頃から音楽に親しんできて、音楽家を自負する蛇崩にとって、自らの耳から入る情報は目で見たり肌で感じたりするそれよりも信頼に足るものであった。

 誰かが、歌を歌っている。

 明瞭ではないそれは歌というよりも鼻歌に近く、耳を澄まさなくては聴こえないほど小さいものだった。それでも、優れた聴力を持つ蛇崩にとってその声の持ち主が犬牟田宝火であると理解するのは容易かった。

 あの犬牟田が歌なんて、と驚きつつ蛇崩は、この部屋には自分と彼の二人しかいないこと(他に誰かいれば彼は歌なんて歌わない)、そして彼がまだ自分が目を覚ましたことに気が付いていないこと(気付いていたら彼は歌なんて歌わない)を悟った。

 誰もいないところで鼻歌を歌うことは習慣として特異ではない。それでも、理屈屋で皮肉屋の彼がそうしていることは蛇崩にとってなんだか面白く思われて、もう少しこのまま身を潜めていようと決めた。

 このことをダシにしてどんな風に馬鹿にしてやろうかしら、という思惑ももちろんあったが、彼がどういった音楽を好むのか、純粋に興味があった。

 そういえば、四天王として三年も近くにいながら、相手の趣味嗜好についてはほとんど知らない。情報戦略部委員長の彼にはこちらがどんな隠し事をしていようと見透かされてしまうくせに、自分のことはこれっぽっちも語らない。他の四天王と違い武器を持たない犬牟田にとって、情報を持つことこそが武器であり、それゆえに彼が自らの手の内を明かそうとしないとわかってはいても。不公平だわ、と蛇崩は頬を膨らませた。

 パチパチとキーボードを叩く音の間を縫って聴こえてくる歌声に耳を澄ませながら、その拍子、調性、メロディーを自分の記憶の中にある楽曲の数々と照合させる。導き出された答えは、自分の抱く彼に対するイメージとは随分とかけはなれているように感じられ、蛇崩は、ふうん、と心の中で笑みを漏らす。

 犬牟田の歌声は小さくかすれがちで、特に音域の高いところなどは旋律が途切れてしまっていた。普段完璧な仕事ぶりを発揮する彼の人間らしさを垣間見たような気がして、蛇崩は顔が綻ぶのを感じ、ほんの気まぐれから、途切れ途切れの犬牟田の歌声に自らの歌声を重ねてみた。

 ガタン、と音を立てて腰掛けていたスツールから立ち上がった犬牟田は、声の聞こえてきた方を振り返る。

「……盗み聴きとは良い趣味してるね」

「あら、人が寝てると思って油断したのはそっちの方でしょ。それに盗む価値のあるもんでもないわ、ワンちゃんの遠吠えなんて」

 ソファの背から顔を覗かせ、蛇崩は悪戯っぽく笑う。犬牟田は不快感を隠しもせず舌打ちをし、再び腰を下ろす。

 面白くてたまらないといった様子で、蛇崩は犬牟田の隣のスツールにするりと座りこんだ。

「……なんだよ」

「べつに、犬くんでも歌を歌いたくなったりするんだと思っただけ」

「悪い?」

「そんなこと言ってないじゃない。誰にだって歌を口ずさみたくなる時はあるわ、恋の歌とかね」

 蛇崩が「恋」と口にしたところで、犬牟田が眉根を寄せて蛇崩の方へ顔を向けた。長い襟に隠れた頬に、血の気が透けて見えたような気がした。

「想い人はどなたかしら?皐月様?」

「……」

「それとも転校生?あるいは……」

「いい加減にしてくれ。君がそれを知ったところで何の得になる?」

「あら、誰かさんをからかうための良いおもちゃになるわ」

 新しい玩具を前に心底楽しそうな顔をする蛇崩を見ながら犬牟田は、どうやってこの口の減らない蛇を黙らせたものか、と考えていた。

「小さい頃、両親と三人で車に乗って遠くへ出掛けたことがあったんだ」

「は?」

「俺が後部座席に、両親が運転席と助手席に座って、カーステレオからは二人の思い出の曲だかなんだかよくわからないものが流れていたよ。そのうちの一曲が、今でも耳に残ってる。歌詞なんか三分の一もわかりはしない。でも今でも歌えるってことは、そんなに嫌いじゃないってことなんだろうね」

 いきなり昔話をはじめた犬牟田に面喰らった蛇崩は、黙って話を聞いていた。犬牟田の声色は先程とは違ってやわらかかったが、彼の言葉は過去を懐かしむというよりは、昔観た映画の一シーンについて話すような、他人事のような響きを持っているように思われた。それが彼が全くのでたらめを吐いているからなのか、それとも、蛇崩は彼の両親について深く知りはしないが、彼が中学生の頃から家族と離れて暮らしていたことに関係しているのか、わかりかねた。彼の薄緑色の目をじっと見たところで、彼の感情を、襟の下に隠された表情を読み取ることができるわけでもなく、蛇崩はこれ以上彼の領域に踏み込むのは野暮だと思った。

「……古い歌よ、幸せな恋の歌」

「へえ」

「レコードがどこかにあったんじゃないかしら。探してみるわ」

「ああ、頼むよ」

 レコードから音楽が流れだすと、蛇崩は目を閉じて何も言わなくなった。

 ゆったりとしたテンポに身を委ねるその横で、犬牟田も目を閉じてメロディに乗せられた詩を耳で追うと、なるほど、恋人への一途な愛をロマンチックに歌ったものであった。甘ったるく感じられるそれは、まあ大して悪いものでもないかな、と口には出さず感想を抱く。

 蛇崩が小さな声で主旋律を口ずさむのが聴こえたが、犬牟田はそれに声を重ねることはなく、かわりに指先でとん、とん、とリズムに合わせてテーブルを叩いた。

 やがて曲が終わり、蛇崩が目を開けるのを一瞥したのち、犬牟田はパソコンの画面に映し出された時刻を見やる。

「そろそろ遅いし、帰った方が良いんじゃないかな?」

「え、こんな時間なの?もう、犬くんのせいで遅くなっちゃったじゃない!」

「俺のせいでもないと思うけどね」

 いーっ、と蛇崩は威嚇するような顔を見せ、荷物をまとめる。その様子に犬牟田は、いつも通りの彼女だと思い、安堵した。

 鬼龍院皐月の牙城を支える四天王の間に、無用な馴れ合いも詮索もいらないというのが彼の考えだった。さっき蛇崩に話した内容だって、ほとんどが口をついて出てきたでまかせだった。お互いに深く介入することを避け、等間隔のバランスを保つのが、いつだって最良の選択であるように思われた。

「眠りの邪魔をして悪かったね」

「次はマザコンなワンちゃんのために私が子守唄でも歌ってあげるわ」

「それはどうも」

 馴れ合いも、詮索もいらない。犬牟田は自らに言い聞かせた。でも、そういえば自分はあの歌をどこで覚えたのだっただろうか?遠い記憶の中、長年をかけて培った知識の山にうずもれて、もうとっくに忘れてしまったのだろうか。あるいは、でまかせのつもりで話していた内容にも少しの真実が紛れ込んでいたのかもしれない。馬鹿な考えだ。さっきまで聴いていた甘ったるい恋の歌のせいで判断力が鈍ったのかもしれない。それとも、ただの気まぐれか。

『誰にだって歌を口ずさみたくなる時はあるわ、恋の歌とかね』

 目を閉じて、先の蛇崩の言葉を反芻する。不意に生まれた一つの疑問に思考が捉われてしまう。気まぐれついでに、無用とはわかっていても、確かめたい。そう思った。

 既に荷物をまとめて扉へ歩きはじめていた背中へ、声をかける。

「蛇崩」

「何?」

「君にも、誰かのことを想って歌を歌う時はあるのかい?」

 振り返った蛇崩は、少し驚いた顔をしていた。だがその表情はすぐに不敵な笑みに取って代わられた。

「……さあ、どうかしらね」

 ◇◇◇

「そういえば」

「ん?」

「なんで私が寝てるのに生徒会室にいたのよ」

「君は馬鹿だね。君が寝てるのに俺が生徒会室から出て行ったら、君は鍵のかかってない部屋で眠り続けることになるんだよ?」

「……変なところで気を使うんだから」

「紳士的と言ってほしいな」

「犬に紳士もへちまもないわ」

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